インド
人口が中国に次ぐ第2位、広大な国土を持ち亜大陸と呼ばれることもある。
宗教上でも重要な場所をいくつも有し、毎年多くの観光客が訪れている。
これから三週間僕はこのカオスな国で生きなければならない...。
僕の中のインドの印象ははっきりいって良くない。
汚い、人が多い、詐欺など犯罪が横行しているといった情報がいろんなブログに投稿されていて悪いイメージが染み付いてしまっていたのだ。
正直ビビっている。東南アジアはまだ余裕があった。
行ったことあるし人も優しいし治安が比較的良いからだ。
多分ネパールであった酔った旅人にインドで犯罪にあって命を落とした日本人の話を聞かされた(まじでこういうデリカシーのない人嫌い!w)ことも余計に恐怖を煽ってる。
さて、あっという間のフライトでインドに到着、夕方6時前。
緊張した面持ちで機内を出る。ここからアライバルビザの取得だ。
インドのアライバルビザが使えるのは日本だけ!なんて素晴らしい。
旅に出てから日本のパスポートの偉大さを思い知らされている。
日本国民に生まれて海外を旅しないのは少し損なんじゃないかってくらい優遇されてる、先人の叡智のおかげ...ありがたや🙏
アライバルビザは特にこれといった準備も必要なく、空港で申請してビザを受け取ることができる便利なものだ。
もともとネパールからは陸路での入国を考えていたのだが、ビザの申請が面倒でアライバルを利用できる空路を使うことにしたのだ(ビビってたのもある笑)。
かかる人は入国に2時間くらい待つと聞いていたけど、なんてことはない30分ちょっとで入国できた。
アライバルビザ用の申請用紙をまずもらう必要があるので、そこらへんにいる職員にアピールしよう!
日本人以外はアライバルなんてもんは使わない(使えない)のでわざわざ持ってきてもらわないと用紙は手に入らない。
入国審査のレーンも別で処理には少し時間がかかった。出国する航空券の情報をはじめ、滞在先の住所などを記入する必要があるのでしっかりとスクショやダウンロードをしてオフラインでも確認できるようにしておこう。
夜七時前には入国!そこから宿に向かっても良かったのだがどうせ帰っても寝るだけだし空港の周りのタクシーはろくな奴がいないと聞いている。
少し手間取ると深夜になる、などの理由で空港泊で朝から移動することに決めていた。
空港の外側をのぞいてみるとドライバーなどたくさんのインド人が待ち構えていた。
観光客のカモを今か今かと待ち構えているように見えた(すごく穿った見方、完全に疑心暗鬼w)。
一度出口から出てしまうと再入場は基本的にできないので、フラッと出てしまわないように気をつけよう。
十分寝れるスペースはあるしいろんな所で寝てるのでちゃんと荷物の施錠をしていればまあ大丈夫。
朝6時半、のそのそと動き始める。冷房が効きすぎてて寝づらかった、ダウン引っ張り出したレベル。
意地でもタクシーには乗りたくなかったので、ローカルバスで宿を目指す。
宿は有名なサンタナ。初インドだし情報を集めるためにも、日本人宿に泊まることにした。
結局結構離れた所でバスを降りて30分近く歩くことに。
とにかく街が汚い...いや思ってたよりはマシか...とぶつぶつ言いながら歩く。
朝早くなので特に客引きに絡まれることもなく進んでいく。
途中でバックパッカーの聖地と呼ばれるサダルストリートも通り抜けたが、どのへんが聖地なのかはよくわからなかった。(のちにこのサダルストリートの安宿に泊まることになる)
朝8時過ぎにサンタナ到着。ドミトリーに案内されると見知った顔が。
ここからインドは十日間ほど彼と二人旅になる。
いきなり残念なお知らせだが、コルカタは正直あんまりすることがない!
よく一番インドっぽい街と紹介されているが裏を返せば”ぽさ”を推すしかないってことだ。
美味しすぎて失神カレーって言われてる店に行ってみたり、
クリケットの球場に行ったり(試合してなくて入れなかった、今W杯してるからないらしい)、
しまいには適当にローカルバスに乗って目的もなくブラブラして過ごしていた
コルカタでだいぶインドにうんざりしてしまった。
ならさっさと出ればいいじゃないか、そう思うだろう。僕もそうしたかった。
出るのも大変なんだこれが。
インドの移動は電車が格安なのだが、コルカタの駅には外国人用窓口がない!
離れた場所に外国人用窓口があるのだがとにかく混雑がすごくて朝早くから行かないと切符を買えないのだ。
最初はそんなこと知らずに行き、あえなく敗北。普通は整理券持って並んでたら最後まで待つものだが、5時きっかりに今日はここまで〜ってクローズする。
一見インド人が並んでいるように見えるのだが、なんと隣国のバングラデシュ人が大量に待っているのだ。
ネット予約を宿に頼んでも、インドは学生の休み期間らしく速攻で売り切れる。さながら人気アーティストのライブ抽選...
南京虫に刺された苦い思い出もあったので痺れを切らして他の場所に移ることに決めた。
そして、人生史上最底辺の宿生活をする。